砂漠に野菜を! 生命を増やすHaluの技術

Haluの世界:ブログ記事まとめ4

Haluの世界:ブログ記事まとめ4

16.新しい自然観

先日、初めてのHalu農法講座を開きました。使用したテキストは、講座専用に編集したものです。Halu農法を実践するうえで、柱となる考え方に焦点を当てて文章化してみました。

そして、このテキストを編集したことで、明確になったことがあります。Halu農法は、やはり従来の自然観とは異なる、新しい自然観の農業技術である、ということです。この自然観を身に付けることで、美味しい野菜や果物は、だれにでも、楽につくることができると確信しています。

いま、日本も日本以外の国々も、これまでの常識や価値観では対応できない多くの問題を抱えているように見えます。政治も経済も、あるいは福祉も医療も。ちょっとした「改良」や「改善」ではなく、もっと根本的に立て直す新しい価値観や手法が求められているように感じます。

このブログを読んでくださる多くの方も、きっと同じような考えをお持ちだろうと思います。

そのことは、もちろん農業についても言えることです。

ダイコン

写真は、今年春に借りた畑で出来たダイコンを持っている私です。春にもダイコンの種は播いたのですが(しかも大量に)、そのときはほぼ全滅しました。共生微生物もいないし、昆虫や爬虫類などの生態系もできていない。そんな環境では、まともに野菜はできないものです。

半年ほど時間が経過し、少しずつ生態系は整ってきます。まだ野菜の出来栄えは、数量としてはまばらですが、ダイコンもコマツナも、立派に育つようになってきています。なかでも、もっとも注目すべき点は、やはり「味」だと思います。透明感、清涼感、甘み、どれをとっても一級品だと感じています。これを、ぜひご家庭で、ご自分でつくってもらいたいのです。

農作物は、農家がつくるだけではありません。だれにでもつくれます。Halu農法であれば。

今回は、とても重要な視点について書こうと思います。

まず質問からです。私たち人類の祖先は、いつごろ地球に現れたかご存知でしょうか。唐突にすみません。私の世代は、小学生のとき「400万年前」と教わりましたが、いまは「700万年前」だそうです。

これだけ聞くと、随分遠い昔の話だと思われるでしょう。ところが、それはまったく逆なのです。「昔」ではなく、「つい最近」なんです。それが新しい自然観のポイントのひとつです。

「人類は、つい最近地球に現れた種族である」

よほど地球の歴史や宇宙に興味がないと、このての話はピンとこない方のほうが多いかもしれません。けれども、決して難しい話ではありません。

たとえ話をします。最近、温暖化の影響とかで、各地に鹿が増えているというニュースがときどき流れます。とくに鹿は、天敵である狼が絶滅してしまったため、すごいスピードで増えているのだとか。全国的にも有名な尾瀬沼(新潟、福島、群馬県境)は、鹿の繁殖によって、自然破壊が進んでいるそうです。

ところで、このニュースで不思議なことがあります。そもそも、なぜ鹿は増えているのでしょうか。答えは「豊富な食べ物があるから」です。

「食べ物があると、生物は増える」

これはごく当たり前のように感じます。そして、これこそがHalu農法の根幹を支える自然観なのです。

地球の歴史は46億年と考えられています。38億年前に生命の祖先である微生物が生まれ、海にさまざまな生物が進化し、増殖したとされています。さらに4億年前には植物や動物が陸上に進出し、地表にも多様な生態系が生まれました。そうして、ようやく最近になって、霊長類である人類が現れてきたのです。

そこで、先ほどの鹿の話と関連付けて考えてみましょう。なぜ人類は地球に現れたのか。それは、人類の食べ物が豊富にあったからです。

言い方を変えてみます。人類がこの世に現れてから食べ物ができた? 違いますね。初めに食べ物があったからこの世に誕生できたのです。つまり、地球の自然界は、人間の食べ物ができやすい環境になったから、人間という種族が生まれてきたのです。

「そもそもこの地球は、人間の食べ物(農作物)ができやすい環境になっている」

これがHaluの世界の自然観(のひとつ)です。

害虫も、病原菌もありません。自然と闘う必要もありません。まるで逆です。自然をよく観察すると実感できます。作物は文字通り自然にできるようになっています。この視点を持ち、Halu農法の技術を使うことで、驚くほど作物ができるようになります。

2016年12月7日記
 

17.すでに私たちは知っている

たぶん、すべての人が知っていることです。けれども、ふだん意識しない、というよりむしろ「あえて意識の底に封印している」のかもしれません。それは、街路樹が自然に大きく育つということ。庭の柿の木が、毎年のように美味しい実を成らせてくれること。コンクリートの隙間から雑草が力強く生えてくること。(写真はFREEstagramから引用)

自然に成長する桜並木

「いや、野菜だけは違う。畑に養分を補わなければ、まともに育たないよ」

農業を仕事にしている人たちは、同じように言います。あるいは家庭菜園のベテランも。

本当にそうでしょうか。

なぜそう言い切れるのでしょうか。

そこに疑問を持ったら、あとは検証するしかありません。そうして到達したのがHalu農法です。べつに難しいことではなく、冒頭に書いた通り、野菜だろうが果物だろうが、植物である限り、環境が整えば、勝手に育ちます。それが地球の仕組みですから、そうとしか言いようがありません。

実際にうちの畑では、野菜も果物もできていますから、理屈などどうでも良いのかもしれません。しかし、理屈がしっかりしていれば、だれにでも再現できるようになります。農業の知識がなくても、だれにでも野菜や果物を栽培することができます。そういう仕組みを探って、理屈付けすることが、私の性格に合っていたのかもしれません。

とっても大変でした。が、振り返ればとっても楽しく充実した時間でした。

その理屈を試験的に文章化したものが、特許の出願書類です。特許が認められて、出願書類は公開されていますが、読むにはちょっと難しいと思います。なので、講座を企画して、ポイントだけテキストにまとめてみました。

受講していただいた方には概ね好評をいただいています。

実際にHalu農法を試みた方には、その効果を実感していただいています。

そして冒頭の話に戻ります。「結局、野菜を含めて植物は、自然に大きく育っていくのですね」

あとは、実際に試してみることです。

2017年2月3日記
 

18.人類七千年の大計

一般的な感覚では「大げさ」に聞こえるかもしれません。しかし、これからの人類社会は、百年単位ではなく、最低でも千年単位で未来を考える時代に突入していると思います。なぜなら、いまの時代に生きる私たちは、“千年に一度”と言われる大地震を経験してしまったからです。

たかだか百年先を見越した計画で、未来の人類の命を守ることができるでしょうか。かつて壮大なイメージを抱かせた「国家百年の大計」という言葉は、もはや死語であると感じます。そして、あの震災をきっかけに、Halu農法の研究を始めたことを考えると、「人類七千年の大計」という言葉が、いまの自分には一番しっくりくるのです。とくに命に直結する食糧生産技術ですから、「大計」と呼ぶにふさわしいテーマでしょう。

農業の興りは七千年前と言われています。そして農業技術は、いま行き詰まっています。もちろんその技術とは、肥料を使う技術、農薬を使う技術のことです。農家の担い手不足は、ずっと以前から指摘されていました。どう頑張っても担い手不足を打開できないということは、もはや従来技術に明るい未来は見えてこないのです。

そこで、次の七千年に思いを馳せ、人類の健康と幸福を実現するために、文字通り「技術の革新」が必要だということだと思います。Halu農法の研究は、そんな観点で取り組んでいます。それに、肥料も農薬も何も使わず、安全で美味しい野菜や果物がばんばんできたら、とっても面白いじゃないですか。

目指す世界人口は200億人。砂漠にも、高地にも、たくさん作物ができるようになるでしょう。世界中のどこに行っても食べ物に困らない。そんな世の中なることを夢見ています。

2017年3月27日記

19.生命の無限拡大連鎖

Halu農法を支える自然観のひとつです。これまでにも、同じ趣旨のことは書いているのですが、なかなか表現が難しく、悩みは尽きません。今回は、表題の通り「生命の無限拡大連鎖」という表現を試みてみます。(今回は、丁寧に書いてみたので長文です)
 
これまでの農業技術の基本になっている自然観は、「循環」です。植物を動物が食べ、動物の遺体を微生物が分解し、分解されたものが養分になって植物が育つ。「食物連鎖」という表現も理科の教科書に書かれています。この「循環」の考え方は、生態学であったり、環境学であったり、さまざまな学問にも共通しています。

ひとくちに「循環」といっても、具体的にはどんなイメージでしょうか。血液が身体のなかで循環するようなイメージ? 廃棄物を再利用して「循環型社会」を目指そうという標語もあります。共通するのは、「あるもの」がぐるぐる巡って元に戻り、それを繰り返していく状態です。

しかし、この「循環」という表現は、無意識のうちに、私たちの思考に大きな制約を与えています。それは、「循環している物質は、姿形を変えるだけで、その量は増えもしないし、減りもせず、一定である」という固定観念です。物理学とか化学にも「質量保存の法則」とか「エネルギー保存の法則」とか呼ばれている考え方もあるため、ほとんどの人が、この「循環」の考え方に疑問を持っていないようです。

そしてその延長に、現代農業の考え方があります。

よく農学の考え方の例として、窒素の重量換算が使われています。たとえば1反(1,000㎡)の畑でコマツナなどの葉物野菜を栽培したとき、収穫して畑から持ち出したコマツナの成分のうち、窒素の重量を計算します。もし、窒素換算で10㎏持ち出したとすると、畑に窒素肥料を10㎏補わなければいけない、という考え方です。
 
窒素を補うことによって、循環が成立し、半永久的に作物が栽培できる。──もちろん、窒素以外にも必要な栄養素がありますから、それらを総合して「肥料」と呼んでいます。半世紀前、化学肥料の登場は、「緑の革命」ともてはやされたそうです。

「そういうものだ」と教われば、「そういうものなのか」と受け取るしかありません。なので、この「循環」に疑問を持たないうちは、Halu農法なんて無用の技術です。むしろいかがわしいとさえ思うかもしれません。

そこで、ひとつ例を挙げて考えてみましょう。

どなたか近しい人が亡くなったときのことを思い浮かべてみてください。現代医学では、心臓の停止を「死」と定義しています。心停止の瞬間を医師が「死」と診断し、法的にも「死」が認められます。いまは少し複雑で、脳の血流が止まってしまい、「脳死」という考え方もありますが、いずれにしても、「死」の瞬間は、どこかにあります。

そこで疑問が生まれます。

「死」の0.1秒前と、0.1秒後では、物質的に何か違いはあるでしょうか? 

私たちは知っています。「生きている人間」と「死んでしまった人間」は、まったく別物であると。だから、近しい人が亡くなると、悲しみに暮れます。

しかし、死ぬ直前と死んだ直後では、物質としては、何ら変わっていません。そこでもし、私が「人間なんて生きていようが死んでいようが、肉の塊であることに変わりないじゃないか」などとつぶやこうものなら、きっと周りから非難を浴びること必至でしょう。

「生きている人間」と「死んでしまった人間」は、あきらかに違う存在です。ところが、人間以外の生き物(ペットを除く)について、現代人は生体と死体を区別しません。畑から生きているコマツナを収穫しても、「窒素10㎏持ち出したから、10㎏補おう」と、文字通り無機質に考えています。命を扱っているにもかかわらず、初めから「死体扱い」であることに、私たち現代人は大いに違和感を持つべきなのです。

現代人は、無機物の循環を基本に置いてしまったために、命の循環と物質循環を混同しています。とくに命を扱う農業は、命の循環を正しくとらえなければいけません。それがHalu農法の出発点です。

そしてここからが本題です。

地球が誕生してから間もなく(といっても数億年たってからですが)、生命の祖先である微生物が誕生しました。その微生物はひとつの細胞からなる身体を持っていて、単細胞生物と分類されます。やがて複数の細胞を持つ多細胞生物に進化します。多細胞生物は進化と分化を繰り返し、時間とともに生命の種類も数もどんどん増えてきました。

このような説明を聞いても、ほとんどの人は疑問を持たず、すんなり受け入れるだろうと思います。生命は増えている。これは直観的に理解できます。

では、農作物をつくる畑のなかの生命は?

増えていますか? 減っていますか? それとも一定量のままですか?

突き詰めて考えてみると、いまの農業技術は、畑の中の生命(といっても作物だけしか見ていないようですが)は、常に一定であることが前提になっています。しかも、生体と死体の区別をつけていません。だから「収穫して畑から持ち出した分を補う」と考えるのです。

しかし、もう一度地球の歴史を振り返ってみましょう。生命は増えてきています。人間の食べ物である植物は、何もしなくても育つようにできているはずですよね。しかも、何かの種族だけが増えるのではなく、すべての種族(微生物や昆虫、爬虫類、魚類、哺乳類、鳥類など)が調和を保ちながらいっしょに増えている──そこが最大のポイントです。

植物が何も生えていない空き地を想像してみてください。放っておくとどうなるでしょうか。雑草が生え、そのうち手が付けられないほど繁殖します。やがて背の低い灌木が生えてきて、雑木林になります。土の中では根が張り、微生物が増えます。微生物を食べる小動物が増え、さらに大型の動物へと食物連鎖は拡大しながら続いていきます。

地球の生命は、さまざまな種族が食物連鎖の調和を保ちながら、増殖し続けています。地球には、そもそもその仕組みがある、ということです。それが「生命の無限拡大連鎖」です。

Halu農法は、その自然観を基盤にしています。Haluの畑には、さまざまな生命がいます。豊かな生態系をつくり、調和したまま生命の数が増加します。その一環で農作物ができるのです。生態系のなかには、もちろん人間も含まれます。なので、作物も増えるし、人間も増えていくでしょう。

では、現代農業の技術では、生命は増えないのか?

肥料を使う畑で、例外的にうまくいっているケースがあるでしょう。極めて適切に肥料を投入することで、肥料を分解する微生物が増え、その微生物を食べる小動物が増え、バランスを取りながら生命が増える。その一環で、虫食いや病気のない健康な野菜もできる。

しかし、ほとんどは失敗でしょう。でなければ、農薬という商品が売られるわけがありません。肥料を使えば、その肥料を分解する特定の微生物が大繁殖します。そして、その特定の微生物を食べる特定の小動物が大繁殖します。バランスを欠いた拡大連鎖です。なかには病原菌や害虫がいて、作物をダメにします。そこで薬を使い、微生物や虫を殺します。

薬を使わず、野菜のほうを見殺しにするか、薬で微生物と虫を殺すか。どちらにしても、「生命の無限拡大連鎖」はありません。

結果的に畑が荒れて、耕作放棄地になると、直後から生命が増えていく拡大連鎖の仕組みが働きます。現代社会は、人間が手をかけるところ、生命はどんどん減っていき、人間が手をかけるのを止めると、生命が増えていく。そんなふうに見えます。

Halu農法は、土の中に何も入れません。そもそも地球に備わった仕組みを活用するわけですから、いまそこにある環境をそのまま使うだけです。大切なのは、「生命の拡大連鎖の仕組みが働きやすい環境を我々人間が整える」ことです。

環境が整うと、すべての生命が調和しながら増えていきます。野菜も自然にできるようになる、というわけです。

いつも理屈っぽくなってしまい、とても心苦しく思います。あとはHaluの畑を見れば一目瞭然です。Haluの畑に立てば、生命が大きく膨らんでいることを身体で感じることができます。たぶん、健康になります。

2017年4月9日記

20.新種優先繁殖の法則

Halu農法を支える自然観は2つあります。そのうちのひとつが表題の「新種優先繁殖の法則」です。このことは、自然科学の知見ではなく、Halu農法を開発するうえで到達した独自の自然観です。前回の記事でご紹介した「生命の無限拡大連鎖」と並ぶ、大切な考え方です。この2つをしっかり意識できれば、作物は思い通りに作れるようになると思っています。

「新種」というのは、地球に住むあらゆる生命のうち、新しく誕生した種族のことです。基本的には「人間」を意味しています。この地球は、新しい種族である人間が、他の古い種族に比べて繁殖しやすい環境にある、つまり、人間が食べる野菜や穀物、果樹は、他の植物よりも優先的に育つのです。

もう少し簡単に表現すると、農作物は放っておいても勝手に育ってしまう、そもそも地球にはその仕組みがある、ということです。たとえば、現代農法では、雑草の繁殖を嫌います。雑草がはびこると作物が育たないという理由で、せっせと雑草を抜きます。

しかし、Haluの畑では、雑草が発芽しても大きくなりません。成長が止まった雑草たちを尻目に、野菜がぐんぐん育ちます。なので、原則として雑草を抜く作業はありません。種を播けば、あとは収穫です。

この辺りは、従来の農法で栽培を続けている人にとって、受け入れがたい話に聞こえるらしいのですが、それが事実なので、そうとしか表現しようがありません。実際、畑の様子をご覧いただくと、「そのもの」が目の前に広がっています。私たち人間が好む野菜の種を播き発芽すると、他の雑草類、つまり人間が食べない植物のほうは、発芽しても成長が止まってしまい、野菜だけ育っていくのです。

興味深いのは、野菜の種が発芽していない場所は、雑草がそのまま成長するという現象です。

どうやら自然界は、新しい種族である人間の食べ物が、優先的に育つ環境にあるらしい。それが「新種優先繁殖の法則」というわけです。

ただし、野菜が育つには、特定の環境を整えなければいけません。それがHalu農法です。

まず初めに、2つの自然観をしっかり受け入れることが大切です。そのうえで、具体的な栽培技術を駆使して野菜を育てます。

2017年4月23日記

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